SSブログ
狭い思考 ブログトップ

狭い思考 ~だから~3 [狭い思考]

狭い思考 ~だから~2

正しくもない先入観や思考傾向を人間は他人に教えてしまうのだ。
「学校にさえ行けば人生が保証されるから」「勉強さえしたらうまくいくから」
この様な事だ。

こういった思考を押し付けてしまうのだ。
先入観と言うのは一例でしかないのだ。 学校に行けば人生が保証される場合もある、
同様に勉強さえしたらうまくいく場合もある。しかし、絶対は存在しないのだ。物事は基本相対的なのだ。
そのこと誰も理解していないのだ。 それに、正しいかどうかも分からないことを教えてはいけない。
当然押し付けてもいけない。人間は「自分が正しい」と思った事を押し付けてしまうのだ。
人間の思考なんてのは基本的にプログラムのようなものである。確実に正しい事を理解できている人間なんかほとんどいないのだ。

それでも正しいと思ったことを押し付けてしまう。何か一つの根拠があればその一つだけの根拠で自分が正しいと思ってしまうのだ。
人間の思考とは。自分は、勉強をしたから人生を成功させることが出来たとしたら、
全員が同じことをしたらうまくいくと思ってしまう場合がある。 そしてその考えが先入観や固定観念になっていく場合がある。
こういった場合、一つだけの根拠を真理として自分の思考に定着させてしまう事がある。
しかしそれは間違っているのだ。

自分一人だけの一例は全員の人間には当てはまらないはずだ。しかし思考範囲の狭い人間の場合は、その一例だけが「確実に正しい事」と
思ってしまうのだ。そして押し付けてしまう。
それは間違っているのだ。 この場合大きく分けて二つほどの間違いがある。
一つは、正しいと思っていることが先入観であること。そしてもう一つは、いくら正しい事であっても押し付けてはいけないという事である。

確かに、正しい事であったら教えるべきだろう。しかし、押し付けるのはよくない。
例えば、「夢をかなえろ」と言ったとする。夢をかなえることはいい事である。しかし、理由も説明せずにその一つの行動だけを押し付けるのは良くない。
夢をかなえるということは、並大抵のことではない。相当難しいことである。
不可能に近いほど難しいと言ってもいい。 そんなことを説明もなく押し付けるのはよくない。
大概の人間は、人にものを教えるときに飛躍した言い方をしてしまう。理由を説明しないのだ。それは間違っている。
理屈抜きで結果のみを教えることは、教えたことになってない。

それは教えたことになってないのだ。「夢をかなえろ」などと言われてもなぜ、何のために?それが本当に意味のある事か?
それで本当に幸せな人生が送れるか?等を説明してから言うべきなのだ。「仕事をしろ」に対してもそうだ、
確実に意味があることを説明して、その上で結論を述べるべきなのだが、誰もそれが出来ていないのだ。
そして「説明しない」と言うより「説明できない」と言った方が正しい。説明することが出来ないから説明しない場合の方が多い。

なぜなら先入観であるから。空っぽの思考だから。説明のしようがないのだ。論理的思考ではないからだ。中身のない思考なんか説明のしようがない。
だから説明しようにもできないのだ。
簡単に例えると、「仕事をしないといけない」そしてその理由は?
「仕事をしないと死ぬから」ではなぜ自分が生きないといけないか?本当に生きる価値があるのか?
となると結局「分からない」とか「死にたくないから」そんなことぐらいしか答えが出ないだろう。結局「自分が生きないといけないか?本当に生きる価値があるのか?」
この答えが分かる人間なんか誰もいないしそれに考えることも誰も出来ていないのだ。

自分が生きる意味とかそんな事もさえも誰も考えていないし分かっていないのだ。論理的思考ではなく空っぽの思考なんか教えようがない。
ただ一つの事を説明するだけなんか教えたことにならない。教えるには過程を説明するはずがある。結果のみの説明なんか教えたことにはならないのだ。
そう思うはずだ。ただ「がんばれ」とか「生きろ」とかそんな一つだけの事を教えられたところで、それだけでは何をしていいかわからないだろう。
そういう事だ。一つだけの結論の説明だけの説明なんか教えたことにならないのだ。こういった説明を空っぽの説明と言うのだ。
そんな空っぽの中身のない説明なんかほとんど意味をなさない。

先入観とはただの思い込みであり空っぽの思考なのだ。正に空っぽだなのだ。もしかしたらこの世に仕事をしている人間なんか誰もいないかもしれない。
すべての人間が、仕事をしているのではなくて仕事に使われてるだけなのかもしれない。仕事をしているのではなくて、しごとに使われているのだ。
その意味を理解できずに仕事している人間がほとんどだからだ。簡単に例えるなら学校の生徒も教師である。学校で勉強をしている生徒と勉強を教えている
教師だが、その両方ともが「今自分がやっていることが本当に意味のある事かどうか?」そういったことが分からずにしているのが、いい例えといえよう。
勉強が将来役に立つのか?そして教えてる側の教師もそういったことが分からないまま教えている。その時点で教師は仕事に使われている。

意味を理解できずにやっているのだ。生徒に勉強を教えることや意味のあるかどうかも分からない規則を守れと言う事が、生徒の役に立つかどうか分からないまま
やっているのだ。仕事をしないと自分が生きることが出来ないから....。 しかし、それはおかしい。このプロセスを説明するとこうなる。

自分が生きるために、正しいかどうかも分からない事をやっている。それも楽しくないし意味があるかどうかも分からないことを仕事であるからと言う理由で
やってるだけ....

これはどう考えても「自分が仕事をしている」と言うより「自分が仕事に使われてるだけ」なのだ。それに結構こんな言葉を使う人間が多い。
「仕事であるから仕方なくやってるだけ」という人間が沢山いる。「しごとであるから~」「しごとであるから~」これは非常によく聞く言葉だ。
これは、自分が思うにまったく逆である。 まっ~~たく逆だと思うのだ。どう考えても.....。
違うのだ。 しごとであるから最も自分がやりたいことをすべきだと思うのだ。この仕事だからやりたくない事でもやらないといけないというのは、マイナスの思考なのだ。
どう考えても仕事であるから自分が一番やりたいことをすべきなのだ。

一番大事な事であるから、自分が本当にやりたいことをすべきだと思うのだ。ではなぜ、どんな人間もこんな逆の思考をもってるのだろう?それは
こうなる。
自分の思った通りの仕事なんか選べないしできないから
なぜか? それは、能力がない、或いは足りないから.... 
おそらくこうなる。

それは低能力な人間のいいわけである。そんな理論は弱者の理論なのだ。あきらめる人間の理論なのだ。物事においてあきらめること自体がそもそもの間違いなのだ。
諦める、マイナスの思考を元に作られた理論なのだ。仕方なくやりたくない仕事をするというのは...。それは間違っている。
能力さえ高めて腕を磨けば、誰でもかどうかは分からないが、基本的にどんなことでもできるようになるのだ。 どんな人間もすぐに「無理だ」と判断したがるが、
そもそも「不可能の定義と基準」とはなんだろう? その時点で分からないが....。いったい何だろう? なぜ無理と言えるのだろう?なぜ判断できるんだろう?

おそらく先入観で判断するんだろう。その時点で人間は先入観や思考傾向の奴隷なのだ。分からないことを勝手に判断しているのだ。
判断の基準も定義も正しいことかどうかなんかなど、なぜ分かるのだろう? 大概の人間は、2,3度何か物事を試して無理だった場合、「これは自分には無理だ」と判断しがち
だが、本当にその判断が正しいのだろうか?その定義が正しいのだろうか?そんなことは分からない。勝手な判断だ。


nice!(2)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:学問

狭い思考 ~だから~2 [狭い思考]


狭い思考 ~だから~2

先入観思考傾向

まず人間は先入観の塊である、それもきづいていないのだ
自分が先入観の塊だということも気づいてないのだ。
人間は誰しも自分が生きないといけないと思ってるはずだ。また、
仕事をしないといけないとも思っているだろう。

しかし、本当に自分が生きるべき人間であるか?と言う事や、
本当に今自分がやてる仕事が意味のあることかどうか?などと言うことは
分かっている人間は少ない。

なぜなら、そこまで考えていないからだ。それに考えていないということはその意味も分かっていないということになる。
そして、ほとんどの人間は自分がどんな人間かもわからずに生きているのだ。
人間にはいろんな人間がいる。正しい人間、間違って人間、悪い人間、良い人間、など
いろんな種類がある。当然生きる価値があるものもあれば、無いものもいるかもしれない。
そういったことさえわからずに生きているのだ。
そして、結局自分がどんな人間かもわからずに。間違った人間でも悪い人間でも、そういった人間でも
「自分が絶対生きないといけない」と思っているのだ。
本当に生きる価値があるかどうかもわからずに....。

本当に自分が生きるべき価値があるかどうか?ということが全然分からずに生きているのだ。
ただ、単に「そうにちがいない」と思っているだけの事が先入観で人間はその塊、先入観の塊なのだ。

仕事に関しても同様に同じだろう。
それが本当に自分がやるべき仕事であるか?とか
本当に正しいことなのか?意味のある事のなのか?とかそんなことを誰も分からずに
仕事をしている。

この様に人間とは先入観や思考傾向の塊なのだ。
全然だれも考えることが出来出来てないのだ。

少し考えれば誰もが思うはずだ。日本のまあ、アメリカでもそうだが、
ほとんど全員の人間は学校にいてるはずだ、そしてそこで勉強してたことが誰しもあるだろう。
しかし、教師は勉強は教えるが、「なぜ勉強が必要か?」とか「なぜ勉強をしないといけないか?」と言うことをだれも教えないのだ。
勉強を教えるだけなのだ。ただそれだけを。
勉強は教えるが、なぜ勉強をしないといけないか?を誰も教えないのだ。

その飛躍した行動からして、人間は先入観の塊だということが、よくわかる。
ただ、そうしろ。 ただ、やれ。 
とかそんな飛躍した指示をしているのだ。そして問題は飛躍しているという事自体が分かっていないという事なのだ。
それが問題なのだ。
先入観とは空っぽの意識なのだ。 論理的思考ではないのだ。
そんな空っぽの考えを押し付けてしまっているのだ。この場合。

思考傾向とか先入観って言うのは、中身のない空っぽの考えで、論理的思考ではないのだ。
しかしそれでも、人間はその先入観こそが正しいとおもっている。それが真理だと思ってしまっているのだ。
実際そんなはずはない。
「勉強をしなければならない」
「仕事をしなければならない」
「生きなければならない」とかそういった先入観は間違ってるわけではないのだが、
そういった考えは、中身を分かっていないと意味がない。

やはり先入観だけを妄信することは間違っている。「それだけをやっていればいい」と
思ってしまうからなのだ。
「勉強をしなければならない」
そう考える人間は
「勉強だけやってればいいあとはどうでもいい」と考えてしまい

「仕事をしなければならない」
そう考えてる人間は
「自分が仕事だけやっていればいい」とそう考えてしまうからだ。

そういった偏った思考は間違っている。先入観とは偏った思考で偏見でもある。
偏った思考や狭い思考は間違っていることは明白だ。

そのような思考だと、自分の事しか考えていない事になる。
ただ、自分が仕事をやっていたらいい。周りの人間がどんな状態でも
「自分が自分の仕事だけをやっていたらいい」とかそんな風に考えてしまうのだ。
「それだけやっていたらいい」とそんな風に。
「それだけやっていたら正解」とそう考えてしまうのだ。
物事には状況もある。それに自分の周りに困っている人間がいたとして、それでも自分の事だけやってる
と言うのは、確実におかしい。間違っている。
しかし分からない人間は何もわからない。狭い思考の間違った人間は、なにか一つの事しか分からない。だから
「仕事さえやってればいい」つまり「自分の事だけやってたらいい」とそう考えてしまうのだ。
「~さえやっていれば」とそんな風に考えてしまうのだ。
この思考は狭いし自分中心に偏ってる。
それに、結局なぜ仕事だけやったらいいか?と言う事が分かっているのかどうか分からない。
世間的には、仕事=社会貢献 
とかそんな風にとらえてるかもしれない。また「仕事をしていたらそれだけで社会の役に立ってる」とか
そんな風に考えるかもしれないが、しかし、基本的に仕事と言うのは自分を生かすためにするものなのだ。
つまり仕事をするということは、自分を生かすことなのだ。したがって、自分のための行為なのだ。

大して人の役にも社会の役にも立たない場合もあるし、まったくと言っていいほどたたない場合もある。
それでも一つだけの固定観念にとらわれてる人間は「仕事=社会貢献」とか勝手にそれだけの事を思っているのだ。
こんな狭い思考を持つことはとても危険な事なのだ。間違った思考を持つことはものすごく危険な事なのだ。

ここで新しい事に気付いた。間違った思考を持つことは危険な事である。と言うことに。
正にそうだ。間違った先入観つまり思考を持つことは、非常に危険な事である。人間の人生は思考が作り上げるものだ。
その思考が間違っているということは、非常に危険な事であったのだ。そして先入観や固定観念にとらわれた思考というのは
当然正しい思考ではない。そういった思考は危険な思考だ。

このことにどんな人間も気づかなければならない。

そして、さらにマズイのは正しくもない先入観や思考傾向を人に教えてしまうことだ。

タグ:先入観
nice!(1)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:学問
狭い思考 ブログトップ

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。