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思考について 定義について [定義について]

思考について 定義について

今までの説明からわかるだろうが、思考とは意外に空っぽなのだ。中身がないのだ。先入観がほとんどで中身がスカスカなのだ。
正しいことも悪いことも、無理な事も可能な事も勝手に判断してしまうのだ。そしてそんな空っぽの思考を持ってる人間は意味がない人生を送ってしまうのだ。
人間は真理をなかなか理解できない。人間が真理を理解するには莫大な時間がかかる。生きてる意味すら理解できてない人間がほとんどなのだ。

前回少し定義がどうとかそんなことを少しだけ話したが、そのことについて話していきたいと思う。
定義なのだが、基本人間は勝手に先入観でいろんなことを決めてしまう。定義までも。善悪についても、可能不可能についても、勝敗についても。
いろんな定義を勝手に決めてしまうのだ。


ここですこし例を出して分かりやすく説明してみよう。
このダメな言葉「~仕方がない」とか「そうするしかない」とかそんな言葉なのだが、これはまさにあきらめる人間の使う言葉なのだ。
この言葉本来使ってはいけないのだ。使うとしても自信をもって使う言葉ではない。そして、諦める人間が正しい人間なはずがないのだ。
仕方がない、というのは「無理だ」と言う意味なのだ。 無理な事を自信を持っていう事自体が間違っているのだ。どう考えてもおかしいはずだ。
無理な事できもしない事を自信を持って言うだろうか?その行為自体が正しいと言えるだろうか? いえるはずがないのだ。正しいはずがない。
無理な事を、出来ないことを自信をもっていう事自体がおかしいのだ。間違っているのだ。しかしその間違った行為を間違った人間はよくする。自信をもって「無理だ」と
よく言うのだ。それも自信をもって。 それ自体が間違いなのだが。

無理な事、できないことをなんか自信を持って言える事ではないのだ。不可能なことを。可能な事やできる事なら自信を持っていうべきだろうが、不可能な事なんか
自信を持っていうべきではない。間違った人間はこのように思考自体が間違っているのだ。 また、自信を持って言うということは、それが正しい事と思っているのだ。
間違っていると思っていることを、自信を持っていうだろうか?普通は言わない。

無理な事が、不可能な事が正しい事と思っているのだ。同時に諦める事でもあるが、そんなことが正しいと思ってしまってるのだ。
間違った人間の思考は不可能と定義をすることを正しいと思う場合があるのだ。それも実際それほど無理でもない事でも無理と定義してしまうのだ。
しかも無理と思う事が正しいと思っているのだ。 実際無理と決めつける事なのだが、成績を上げる事とか、やりたい仕事をする事とか、
そんな簡単な事でも無理とか不可能とか判断している場合がおおいのだ。 たしかに、「明日死んで明後日生き返る」とかそれはむりだろう。確実に不可能なこともある。
しかし、仕事とか成績とかそれぐらいの事なら生きてる人間なら不可能ではないはずなのだ。無理かどうかはわからないはずだ。それを勝手に判断してしまうのだ。
そういった人間の思考は間違っている。思考が間違うということは人生自体が間違っているのだ。思考が人生を作り上げるから。

そして、「あきらめることが正しい」これは完全な間違いである。完全に間違った解釈である。一つの事が無理だったとした場合、何か他の方法を考えるのであれば
それは理に適っている。しかし一つの事が無理だったとして、他の方法を何も考えないのは間違っている。完全に諦めてしまっている。
例えば、ハードルの高い資格とか大学に行ったり取得したりしようと思った場合、どう考えても現状の自分の成績で無理だった場合、「もう完全に無理だ」と決めつけて
一生諦めてしまう事か、「現状は無理でも1年か2年先なら可能」と判断して今は諦めても再挑戦する事ではどう考えても後者の方が正しいだろう。
これが、可能不可能の判断の思考である。また、この思考は長期計画でもある。この長期的に物事に取り組むこともあきらめない人間の思考には多いのだ。
諦める人間は長期計画が全然できないのだ。また、この例の場合、どのように学力をつけるか?その方法を考える事ができるか?と言ったことも諦めない思考の一つでもある。

諦めない人間は、いろんな選択肢を考える事が出来るのだ。
勉強が出来なかったとしたらその場合、

記憶の方法に問題があるのか?
自分の解釈に問題があるのか?
あるいは教本が自分にあってないのか?
記憶の方法に問題がったとしたらどんな方法なら記憶できるか?
記憶の方法を全力で調べる。
解釈に問題があったとしたらどこに問題がるのか?
いったいどの辺りが間違っているのか?

この様にいろんな選択肢や手段を考えることが出来るのだ。しかしできない人間は、
「勉強が出来ないのは難しいからだ」
この一つだけしか考えないのだ。

長期計画や思考範囲の広さなどを含めて諦める人間は短期計画しかできない上に思考範囲が狭いのだ。その為本来可能な事でも不可能と判断してしまうことが多いのだ。
その判断が正しいかどうかも分からずに勝手に判断をするのだ。思考範囲が狭いとこの様な事が起こる。単細胞ともいうが、物事の理解が浅いのだ。
この様なたった一つだけの考えしかないのはどう考えてもおかしい。これでは結局何がどうなのか全然分からない。そもそも「難しい」とはいったいどういうことなのか?
そういったことにも意味があるはずなのだ。結局難しいとはどういうことなのか?そのことについて考えることが出来るはずなのだ。
この場合一つの意味でしか物事を理解できていないということになるのだ。物事には複数の意味があるのだ。人間の言動にも行為にも複数の同期や意味が存在するのだ。
そのことを分かってない人間がおおいが、物事には複数の意味がある。

今回の例でも分かるように、複数の意味があるのだ。そもそも「頭が悪い」とか「頭がいい」とかでもそれ自体がどういった意味なのだろう?
結局それ自体の意味がよく分からない。何がどう違うのだろう? 記憶力がいいとか悪いとか、情報処理速度が遅いとか早いとか、要するに頭の回転が速いとか遅いとか?
そんなことだろうか?そしてそういった能力が高いと「頭がいい」と判断できるのだろうか? そして本当に「知性」とはそれだけだろうか?そういったことがよく分からないし
完全な定義もないはずだ。これが「頭のよさの定義である」なんてものをみたことあるだろうか?自分は今までの人生でまったく見たことがないし、しらない。
結局そんなものないのだ。ある程度の定義はあるだろうが、完全な定義なんてものは存在しないのだ。
また、記憶力が高く、頭の回転が速かったとしたらそれだけで、「頭がいい」と判断できるのだろうか?それもよく分からない。勉強が出来たらそれだけで頭がいいと判断できるだろうか?
それも分からない。だったら性格や人格はどうだろうか?そういったことは知性とは関係ないのだろうか? そういったことまで考えると、結局わからない。
諦める事とは少し話がそれたが、知性について分からないことが多いのだ。また、思考の範囲もあるのだが、間違った思考が正しいと思うことも間違っているのだ。
諦める事が正しいと思う事のように。間違ったことが正しいと思うことも間違っている。



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タグ:思考 定義
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