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頭のよさとは? [知性につて]

そもそも頭のよさとは何だろう? 知性とはなんだろうか? 結局そんな事も分からない。
勉強ができないよりできる方が頭がいいと思うだろうが、それだけで知性を説明することは難しい。だったらなんなんだろう?仮に「正しい思考」自体が知性と
いうのだったら、そもそも正しい事とは何か?と言うことになる。そうなると「正しい事」についての理解が必要になるだろうが、一口に「正しい事」といっても
容易に説明できることではないはずだ。そんなことわかるだろうか?ましてや説明なんかできるだろうか?それは簡単にはできない。なにより、そんな絶対の法則も掟も
ないだろう。完全に正しいことを証明した本とかそんなものがあるだろうか?ないはずだ。 「正しいこと」をりかいするだけでもかなり難しい事なのだ。
真理と言った方がいいだろうか。理解するのも見つけることも困難なのだ。

また簡単な一つの例だと、「単に知識が多いだけが頭がいいという事ではない」と言うことも一つの真理だろう。前も言ったが、「一つの行為に対して動機は複数ある」というのも
これも一つの真理かもしれない。このように沢山の物事に気付く事も正しい事を理解しているという事なのだ。そして、そういった事に気付くためには沢山の事を考えないといけない。
そしてたくさん考えるということは、それだけ思考範囲を広げるという事でもあるのだ。思考範囲の広さも頭のよさとか知性の一つだろう。 まあ確かに、知識量とか機転回転も知性なのだが、
それだけを知性とは言えないという事なのだ。そこが分かってない人間が多い。目に見える結果しか信用できない人間がおおいのだ。まあ最も注意すれば目に見えないということはないのだが。
ここでまた一つ考えることが増えた。「目に見える事と見えない事」基本性格とか人格とかは目に見えないかもしれないが、そうでもない。それに思考能力にしても目に見えないと言う訳でもない。

少し話を戻すが、記憶力とか情報処理(機転回転)等をなぜ人間は重視するか? やはりそれは目に見える結果を出せるからだと思う。記憶力が高いとテストの点もいいだろうし、
頭の回転が速いと、計算も早いだろう。 確かによく目に留まるし、誰が見ても頭がいいとおもうだろう。そのためだ。
可視的に分かるからだ。 測定ができるからだ。 しかし人格とか性格も測定ができない訳ではない。不可能ではないが難しい。その結果、目に見えなくなるのだ。
すぐれた能力があったとしても。 だから理解されにくいのだ。測定が出来ないものについては。人格も性格も測定しにくいし、抽象的なのだ。「この人は性格がいい」とか「この人は性格が悪い」
とかそういった言い方はするが、しかしその「良い悪い」とはどういったことなのか?また、それが本当の事なのか?誰が見てもそうなのか?となると分からない。人によって差が出てくるのだ。



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タグ:知性
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